トップページ > TRAVEL > 2006-07-13~07-10 ギリシア > ギリシア~GREECE~ 7日目 アテネ
いよいよ最終日!アテネ観光です。
ちょっと風が強いので、帽子が吹き飛びそうで怖かったですが、元気に観光です!
ヘロド・アティクスはアテネの大富豪だった人の息子で、その遺産で公共建築物を建設しました。
この音楽堂もその一つで、161年に寄付したものです。
舞台の幅は35mあり、観客席は32列5,000人収容可能です。
舞台裏の建物は3層になっています。
この劇場は今でも使用されていて、日本の能や舞台の公演もあるそうです。
私の知る限りでは蜷川幸雄演出野村萬斎主演のギリシア悲劇「オイディプス王」もここで上演されています(TVでその時の公演が放映されていました)。
当時はアクロポリスの入口として使用されていた門ですが、現在はアクロポリスから出る門となっています。
2~4世紀のローマ時代に造られたもので、1853年フランス人考古学者ブーレエによって発見されたため、この名がつきました。
プロピレア(聖域への入口)と呼ばれるアクロポリスへの入口です。
かなり修復中ですが、キレイですv
BC6世紀に建設されましたが、その後ペルシア軍の侵略によって破壊され、BC5世紀に再建されました。
ドリス式とイオニア式の柱が使われています。
そしてこれがかの有名なパルテノン神殿。
す~~~~~~っごく見たかった神殿です。
夢が実現して大感動です~~~!!!
このパルテノン神殿はドリス式建築の最高傑作とされていて、アテネの守護神である女神アテナを祀っていました。
BC447年に着工し、全てが完成したのはBC432年でした。
多くの著名な技術家・彫刻家によって完成した本当にすばらしい神殿です。
白い大理石の神殿は、幅31m、奥行き70m、柱高10m。
柱は前後に8本、側面に17本、計46本ありました。
とにかく美しく見せるための高度な技法(黄金率など)がふんだんに使われていて、だからこそこんなにも人々の感動を誘うんですね~。
パルテノン神殿は夜ライトアップされています。
ギリシアは比較的治安が良い国なので、夜見に来る観光客も多いそうです。
神殿は修復中ですので中には入れません。
この修復は何年かかるのでしょうか・・・完成したらきっとすごいものになるでしょう。
パルテノン神殿の北側に建っていて、アクロポリスで最も神聖な場所とされ、多くの神々の家であり、伝説上の王たちの墓でもあった神殿です。
ここは他の神殿と違って複数の神が祭られていて、そのため複雑な構造になっています。
中に入れないので確認は不可能でしたが・・・。
BC406年に完成し、東側の大きな建物がアテナ・ポリアスの神室、背後にはポセイドン・エレクテウスの神室があります。
イオニア式の北側入口の柱廊や東側の柱、南側の露台の6人の女神柱(右側の写真)があります。
現在ここにある女神柱はレプリカで、オリジナルはアクロポリス博物館に展示されています。
エレクティオンの南側にアテナ古神殿がありました。
パルテノン神殿より前に建てられた神殿で、BC6世紀頃のアルカイック期に造られました。
その後BC5世紀前半、ペルシア人によって全て破壊されてしまいました。
おかげで今は大理石の礎石があるだけの状態です。
この状態から復元はムリだろうなぁ・・・。
1896年、第1回近代オリンピックが開催された競技場です。
競技会の歴史としては、BC331年にパンアテナ大会が最初に行われた競技会でした。
当初は簡素な競技場だったそうですが、ローマ時代に大理石の観客席ができ、立派な競技場となりました。
現在のものは1895年の作られたものです。
収容5万人、観客席が馬蹄型しています。
会場の端に近代オリンピックの開催地が刻まれている石碑があります。
競技場の中には入れないので、カメラで必死に寄って撮影し、PCに取り込んでよ~っく見ると2000年シドニー大会まで刻んでありました。
2004年アテネ大会はまだ書かれていない・・・何故?
大理石の観客席は非常にきれいです。
そしてフィールドも非常に整備されていて、本当に見事です。
ギリシア最大級の神殿で、パルテノン神殿より大きかったといわれています。
BC6世紀に着工されましたが、中断しまくって650年以上経ってようやく完成しました。
神殿内には金と象牙で作られたゼウス像が安置されていました。
コリント式柱は104本あり、現在はその15本が残っています。
シンタグマ広場の東側にあり、その正面下には壁面に彫られた記念碑があります。
これはトルコからの独立戦争をはじめ、1821年以降に起こった様々な戦いで戦死したり行方不明になた兵士たちの霊を慰めるために1932年に作られたものです。
この記念碑の前を兵士が守っているのですが、1時間ごとに交替しています。
この交替の際には交替式があり、中々に見ものです。
交替式の際には多くの観光客が集まって見ています。
私も運良く見えました(ほとんど終わりがけでしたが・・・)
この記念碑の前以外に、大統領官邸前でも交替式が見られます。
また、今回残念ながら見えませんでしたが、毎週日曜の11時からは通常とは違い大規模な衛兵交替式があるそうです。
シンタグマ広場から古代アゴラ方面へミトロポレオス通りを歩いていると見えてくる大聖堂。
残念ながら補修中でしたが、1840年に着工、55年かけて完成されたギリシア正教会です。
国家的行事の際に利用されている建物です。
古代アゴラから100mほど東にあるローマ時代初期のアゴラ。
残念ながら中には入ってませんが(入口が分からなかったの~)、外から見たカンジではそれほど残っているものはなさそうでした。
アクロポリスの北西にある古代アゴラは、古代アテネの中心地でした。
アゴラとは市場の意味ですが、商店街とかそういう意味だけではなく、政治・経済・文化などの中心という意味。
BC6世紀頃から発展し、BC1世紀頃から衰退しはじめ、その後は住宅地へと変わっていきました。
アクロポリスほど遺跡がしっかりと残っているわけではなく、礎石だけという状態のものが多いです。
その中でヘファイストスの神殿は必見です!
これを見るたけだけに訪れてもいいでしょう。
こちらは今でも発掘調査が続けられているようで、あちこち「KEEP OUT」とロープがしてありました。
コロノス・アゴライオスという丘の上にあり、ものすごく保存状態のよい神殿。
パルテノン神殿と同時期の建造物です。
神殿内にはアテネの宗主テセウスのレリーフが多数施されていたため、かつてはテッシオンと呼ばれていましたが、発掘調査の結果、火と鍛冶の神ヘファイストスを祭った神殿だったことが分かり名前が変わりました。
内部からヘファイストスとアテナのブロンズ像が発見されました。
この神殿は他の多くの神殿のように柱だけの状態ではなく、なんと屋根まで残っています。
当時の神殿の構造が窺い知れてとても勉強になります。
レリーフも非常にキレイです。
アクロポリスの南側にある、酒と演劇の神ディオニソスの聖域で、丘の斜面を利用して作られた劇場と神殿がありました。
劇場はギリシア最古のもので、BC5世紀頃アイスキュロスやソフォクレス、エウリピデスら3大詩人の悲劇やアリストファネスの喜劇が上演されました。
BC6~5世紀は座席も舞台も木造でしたが、BC4世紀に石で再建され、その後ローマ皇帝ネロの時代に大改築されました。
約1万7,000人収容でき、舞台の前のレリーフにはディオニソス神話が描かれています。
右の写真のように特別なイスがあり、ビップ用でしょうか?
本日はゼウス神殿を見学したあと、シンタグマ広場の国会議事堂前でバスを降ろされ、あとはフリータイムでした。
その後夕方、ホテルまで各自戻ってくるというプランだったのですが、自分らは迷ってはいけないな~でも見たいものは見ないと!と思って、シンタグマ広場からアクロポリス方面(ホテルはアクロポリス方面にありました)へ徒歩で街を見ながら、お土産を買いながら、そして見たかった古代アゴラやディオニソス劇場をしっかりと観光し、微妙に迷いながらホテルに無事到着できました。
ツアー客の中には、私たちと同じように同じようなコースで徒歩でホテルまで帰ってきた人や、遠くの国立博物館まで足を伸ばしてメトロで帰って来た人、どこまで行ったのか分からないけどタクシーで帰ってきた人様々でした。
あと、昼食もフリーだったため、何食べるか考えるのもメンドーだったので、シンタグマ広場にあったマックへ。
連れは英語が全くダメなので、私に買いに行くのを押し付け後ろでぼ~っと待っていました(怒)
私だって英語が得意なわけじゃないんだけど、必死で喋って購入しました。
夕方ホテルに集合し、一路空港へ。
夜7時35分のフライトでイスタンブールへ。
その後夜11時45分のフライトで関西国際空港へ帰ってきました。
機内食は行きと同じようにアテネ~イスタンブールで軽食、イスタンブール~関空までで2回でました。
帰りはぐっすり寝てたのでジュース飲み損なったり、お菓子食べ損なったりしてしまいました・・・。
日本に帰ってきてビックリ!土砂降り~!!
私が日本にいなかった間、ず~っと日本は雨降りが続いてみたいで、各地で土砂崩れなどの災害が発生していたみたいでした。
ギリシアがほっとんど雨降らなかったので、これにはショックでした・・・。
まあ、なにはともあれ無事帰国できてよかったよかったv
さて、来年はどこに行こうかな~♪