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トップページ > TRAVEL > 2001-07 中国~CHINA~ > 中国~CHINA~ 1日目 西安

中国~CHINA~ 1日目 西安

既に行程表を失くしてしまったので、どういう風に訪れたのかは分かりませんが、写真を頼りに書きます。
名古屋から上海へ。
そこから中国国内線に乗り換えて西安へ。
と行くはずだったのですが、何故か定刻になっても西安行きの飛行機がこない!
おいおい、いきなりトラブルかよ!
待つこと数時間。
ようやく搭乗し西安へ。
おかげで到着はかなり遅くなり、そのままホテルへ直行。
荷物をなんとか整理してそのままバタン!って状態でした。

◆碑林<ベイリン>(陜西省博物館)

1.jpg孔子廟があった建物を利用し、歴代書家の石碑を集めた資料館。
その名のとおり石碑の林というカンジ。
建物の中には、様々な書・石棺・仏像・石像などが展示してあります。
但し、書はとてつもなく達筆なため、全く読めません(汗)。
古文書学を勉強したことがあったので、なんとか解読を試みるも全くダメでした。
読める方、尊敬いたします。
庭園はとてもキレイでのんびりできます。

◆明の城壁と西の城門

2.jpg昔の中国では、一つの都市は城壁で取り囲まれていて、ここはその名残があるところです。
現存する城壁は明代に唐代のものを基礎として築かれたもので、周囲14kmの城壁の東西南北にはそれぞれ城門があり、その上には正楼と矢を射る楼閣の箭楼があります。
シルクロードの入り口が見える場所があり、中々見所あります。
ただし、その場所はお店の中・・・。
城壁の中にはお店があるのだった・・・。
ついでにここのトイレはかなり悲しい。
今はキレイになったかな?中国を旅する時はトイレ事情を覚悟の上に行かないとどうしようもないです。

◆大雁塔<ダー・イエン・ター>(慈恩寺)

3.jpg慈恩寺境内に立つ高さ64mの塔。
慈恩寺は塔の高宗(628~683年)が皇太子のとき、生母文徳皇后の冥福を祈って648年に建立したもの。
この寺は三蔵法師の縁の寺でもあります。
三蔵法師が43歳でインドから帰国し、持ち帰った経典657部をこの寺で訳されました。
そして大雁塔はその訳典を納めるために玄奘三蔵法師が建立したもの。
現存する塔の高さは7層64m、各層にアーチ形の窓があります。
有料ですが最上部まで登れます。
実際に登りました。
かなりくたびれるだけ(?)。
塔の途中で引き返すのが無難かも・・・。
まあ登れば眺めはいいのですが・・・。
微妙に傾いて見えるのは目の錯覚ではなく、本当に傾いてます。
大雁塔という名前は、ある日空を飛ぶ雁の群から1羽が地上に落ちて死に、それを菩薩の化身とみなし、埋葬して塔を建てたことによりつけられたというのですが、なんでやねん~とツッコミたくなるような理由です。

◆華清池<ホア・チン・チー>

4.jpg唐の玄宗皇帝(685~762年)と楊貴妃の恋の舞台となった場所。
玄宗皇帝はここに華清宮を造り、昼夜宴会三昧。
池のほとりには楊貴妃像も立っています。
写真の左にある白い像です。
あまりよく見えませんね(苦笑)。
ここには温泉もあり、楊貴妃の風呂なんかもあったりします。
撮影禁止なので悲しいのですが(実はこっそり撮ったが・・・)、中々面白い形をしたお風呂です。
もちろんそこに今入れるわけではありません。
正面右手奥に「華清賓館」という建物があり、そこで予約すれば入れるお風呂もあります。
私は入ってませんが・・・。
見学だけで精一杯でした。
とにかくキレイなところです。
次に行ける機会があったら是非風呂に入りたいもんだ。
楊貴妃のように美人になれるか!?

◆兵馬俑坑<ビン・マー・ヨン・コン>

5.jpg6.jpg7.jpg
ラストに西安最大の見所兵馬俑です。
世界史の授業で絶対に出てくるあそこです。
中国を最初に統一した皇帝(秦の始皇帝)が自分の墓の前に作ったもので、埴輪のようなもの(俑)を埋めたもの。
日本でもその昔埴輪を作って入れる前は、本当の人間を王と共に生きたまま埋めたりしましたが、中国でも同じだったようです。
人が殉死する代わりに埴輪が登場したのですが、中国ではそれが兵馬俑となるわけです。
にしても莫大です。
でかすぎます。
公開されているのはほんの一部であり、未だに発掘作業が続いているというのだから驚きです。
1974年、始皇帝の陵墓の東約1kmの畑の中で井戸を掘っていた人がおびただしい数の兵馬俑を発見したのが始まり。
その数は8,000余。
武士俑は大きさ180cm前後で、身に着けているものや武器、顔が全て異なっています。
馬や戦車など軍隊がそのまま入っているようなカンジです。
焼き物だけあり、頭がないものや崩れてしまっているものもありますが、大半はそのまま残っています。
皆同じ向きを向いているのがちょっと怖いですが、そのスケールの大きさに圧倒されるばかりです。
一見の価値あります。
もっと驚くべきことは兵馬俑は創建当時は彩色されていたということ。
時が経ち色は落ちてしまいましたが、写真によりそれは確認できます。
全部塗ってあったのなら、作られたときは本当に凄かったでしょうね。
兵馬俑博物館前(左の写真のあたり)は、スリや物売りがとても多いです。
気をつけましょう。
「1,000円、1,000円」といいながらパンフレットや絵葉書を売りに来ます。
欧米人には「10$、10$」と言っているのが笑えます。
全然レートがおかしいじゃんか!