トップページ > TRAVEL > 2005-07-23~08-02 トルコ > トルコ~TURKEY~ 7日目 カッパドキア~ボアズカレ~アンカラ
さて、再び大移動です。
カッパドキアを朝9時に出発し、一路ボアズカレへ。
到着してまずはお昼ご飯となりました。
スープに始まり、サラダ・パン・メイン・デザートのコース。
スープはパスタが入っているスープでした。ヌードルか?
サラダはポテトサラダ。
マッシュしてないですが。
オリーブオイルのドレッシング味がグー!パンはお好きなだけご自由に。
メインはピラウと肉炒め。
フツーの味です。
デザートのパイのようなもので激甘です。
甘すぎてさすがの私も気持悪くなった・・・。
果物はおいしいんだけどね~。
ボアズカレは紀元前25世紀頃、ハッティ人が暮らしていた土地です。
そのハッティ人を支配したのが、ヒッタイト人です。
紀元前18世紀頃、ヒッタイトの王がこの土地に目をつけ王城を築き、ヒッタイト王国の首都となりました。
このヤズルカヤはヒッタイト王国の首都ハットゥシャシュから2kmほど離れた場所にある遺跡で、神殿だと思われます。
実際は屋根もあったそうですが、地震により崩れてしまったそうです。
3つの部屋があり、うち一つは地震により欠落。中に入ることも不可能です。
あと2つは見えます。
浮き彫りのレリーフが残されています。
しかし、雨風にさらされているこのレリーフ・・・。
いずれ消えてしまうのでは?という不安があります。
このままでいいのか?
ヒッタイト帝国の首都遺跡です。
な~んにもありませんが、礎石や道が残されています。
この上には日干し煉瓦で建物が作られていたのでしょうか?
日干し煉瓦は見ずに弱いので崩れてしまいます。
現在は入口の辺りに砦のような城門のようなものを日干し煉瓦を使って復元しています。
これができたらまた違ったカンジがすることでしょう。
今でもだいぶ出来上がっていて、重厚なカンジがしました。
左の写真は首都の街遺跡です。
神殿なんかもここにありました。
右の写真はライオンの門。
山の天辺に城壁があり、所々にこのような門があります。
ライオンの門、スフィンクスの門、王の門など、入口についているレリーフの名前で呼ばれています。
それぞれの門から外を見ると、めちゃめちゃ傾斜の激しい城壁が見られます。
スフィンクスの門の傍に階段があり、そこから城壁の下へ下りられるのですが、この階段がとんでもなく急です。
お客さんはこわごわ降りていました。
私は何故か平気でしたが・・・。
元気にどかどか降りれました。
つかまり降りなどしなくても大丈夫!こういう所に昔発掘やってた人間の図太さのようなものが出てしまうのでしょうか・・・。
この急な城壁を見てると、中国の万里の長城を何故か思い出してしまいました。
あれも急だったなぁ・・・。
ここまででアナトリア観光は終わりです。
長いようで短かったなぁ。
一行はトルコの首都アンカラへ。
アンカラへ到着してまずは夕食。
何故か中華料理・・・。
きっとそろそろトルコ料理に飽きているだろうという旅行会社の温かい心遣いなんだろうけど・・・。
私はトルコ料理でOKです。
現地に行ったらそこのものを食え!というのが私の信条です。
まあツアーなんで文句言えませんが。
どっからどー見ても普通の中華です。
可もなく不可もなく。
杏仁豆腐はかなりダメ。
やっぱ中国で食べたのがおいしいです。
本日のお泊りは電車です。
アンカラ特急1等寝台車です。
これで寝台特急は中国に次2度目です。
しかし中国よりこっちの寝台車の方がすごいです。
部屋は2段ベッドで、なんと冷蔵庫(たいして冷えないけど)、洗面台まで完備!
トイレはさすがにないけど、めちゃめちゃ便利でした。
コンセントももちろんあるので、カメラのバッテリー充電もできます。
しかし所詮電車のベッド。
狭いです。
私は上段だったんだけど、落ちやしないかと内心ひやひやもんでした(笑)